【セルビア】セルビア第3の都市ニシュで感じたこと
+++++++++2015年12月15日+++++++++
予想外にニシュ滞在時間が伸びたので今日はゆっくりニシュ観光。
まず向かったのは、髑髏の塔です。画数多いです。ガイコツではなくドクロと読みますね。これは1809年にオスマン朝支配に対するセルビア人放棄であるチェガルの戦いでオスマン朝軍は勝利こそしたものの、大苦戦を強いられ、その見せしめに造ったそうです。もう二度と歯向かうでない!という意味でセルビア人兵士の生首が埋め込まれたそうです。なんて残虐な。その数952。当時の状態は恐ろしくて想像したくもありません。 長い年月を経て、現在は58のガイコツが残っています。
内部は写真撮影禁止でした。
こちらがその党の入り口です。↓
実際の塔はだいぶ老朽化していて、なくなっているガイコツも多かったですが、 当時は四面に生首が埋め尽くされていたのだと思うとなんとも恐ろしいです。
こちらの塔は市の中心からは3キロ以上離れているので歩くと結構時間がかかります。でも一本道をひたすらまっすぐ行くだけなので時間と体力に余裕がある人は歩きでもOKですね。
私は途中まで歩きで行くつもりでしたが、やっぱりバスにしました≪笑≫
バスの番号のメモが見つかったらここに追記します♪
そして近場を散策。
偶然にもこんなきれいな教会を見つけました。
ガイドブックには載っていないみたい。 そしてバスに乗って、次はニシュ強制収容所へ。あまり知られてはいませんが、こちらは1941年に建てられたナチスによる強制収容所です。
右手に見えるのが収容所です。2階建てです。
この収容所は、アウシュビッツとは違い一時的に収容する場所だったようです。
つまり、ここに一旦集められた囚人たちは、数週間後に別の収容所へ移されます。
多くはドイツやノルウェーに送られたそうです。ここはガイドと一緒に中を見学します。
2階は準備中で公開されていなかったのですが1階部分は見学できました。(写真はありません)
収容所独特の窓のないひんやりと冷たい殺風景な部屋が並んでいます。 脱走を図った囚人もたくさんいましたが、成功した人はほとんどいなかったそうです。
ニシュにもユダヤ人がいたことに少し驚きましたが、終戦後、ユダヤ人はいなくなってしまったそうです。
強制収容所を後にして、歩いてバスターミナルへ行き、スコピエ行きのチケットを購入。
近くにあったマーケットをお散歩♪
こういう光景はもう東京では見れません。なんだかノスタルジック。
そして、そのまま城塞の中へ。 この城塞はニシュのシンボルであり人々の誇り。何故かというとニシュはローマ時代から城塞が築かれておりあの有名なコンスタンティヌス大帝生誕の地なのです。 こちらはオスマン朝時代に建てられたジャミーヤ。
敷地内には数々の遺跡が残っています。
市民の憩いの場として愛されているようです。学生や散歩の老人などたくさんの人々を 見かけました。そうこうしているうちに時間が無くなってきてしまい、最後にショッピングモール?なんというか昭和のショッピングセンター風の中をちょっと散策。
時間切れで考古学博物館に行けなかったのが心残りですが、まぁ仕方ない。
これでセルビアともお別れです。
さみしいな。
でも3都市を巡れたので良しとしよう。
予定通り午後3時20分のバスで、次の国、マケドニアへ!