【セルビア】首都ベオグラードはキリル文字があふれる親日家が多い街でした
+++++2015年12月12日・Day 39+++++
本日はベオグラード終日観光です。
まずはカレメグダン公園からスタート。サヴァ川とドナウ川が合流する丘の上にある公園で、朝9時ごろでしたが、犬の散歩、のんびりウォーキングの人がちらほら。とてものどかで平和な雰囲気で市民の憩いの場という感じでした。
公園入り口付近に、いくつかお土産やさんがあって、旧ユーゴスラビア時代のお札とコインのセットが売っていたので思わず衝動買いしてしまいました。
コインのセットは5ユーロです。当時の地図が描かれたポストカード付き。
↑こんなおびただしい数のゼロ!
ハイパーインフレ時は朝と夕方ですでに貨幣価値が違い、これで牛乳すら買えなかったんだとか。
物見塔からの眺めが美しいらしいのですが、本日は霧のため断念しました。冬のバルカンは晴天が少ないです。いや、バルカンに限らずヨーロッパ全体が毎日どんよりです。
スタンボル門を写真に収め、公園を後にしました。
そして、てくてく歩き、セルビア正教大聖堂へ。
バロック式の美しい教会です。内部見学もできるみたいなのですが、ちょうど私が行ったときは お祈り中のようで、数名のマダムが出入りしているのが見えて、恐縮でしたので外観だけ眺めました。セルビア正教大聖堂の斜め向かいにリュビツァ妃の屋敷があります。
第2次セルビア蜂起の指導者としてオスマン朝からセルビアの自治を獲得したミロシュオブレノヴィッチの 屋敷だそうです。その夫人の名前を冠した屋敷数少ないベオグラードの観光の人気スポットらしいのです。。。。。
が、しかーーーーーし!!!!
開いてない・・・。12時からオープンとのこと。
むむむ。地球の歩き方によると、朝10時から開いている。
しかし、この門にかかっているお知らせを見るところによると、平日および日曜日は10時から開いているが、唯一土曜だけ12時オープン!
なんてこと!?!
地球の歩き方には木曜と日曜が12時オープンとあります。
歩き方のミスか、取材後に開放スケジュールが変わったかのどちらかです。
開いてないものは仕方ないです。まだ10時。2時間も待つわけにはいかないのでセルビア歴史博物館に行ってみることにしました。
が、しかーし。
なんとこちらも12時から。
がーん。
もうこうなったら遠出をしてやる!中心地からははずれたところにあるユーゴスラビア歴史博物館に行こうと決断。キヨスクで1日乗り放題の乗車券を買い、バスで目指します。ちなみに、1日乗り放題でもたった290ディナール(290円くらい)なので、これは買う価値あるかも。
グネズ・ミロシュ通りという大通から40か41のバスに乗ればいいみたいなので とりあえずグネズ・ミロシュ通りまでは歩くことに。この通りには、あの有名なNATOによる空爆跡があることから、効率よいなと思い空爆跡まで 歩いて行きました。通りは官公庁の建物が多いので日本の永田町的雰囲気。立派な建物が多く、空爆の傷跡を感じる建物はほとんど残っていませんでした。
しばらく歩いていると、ついに出会いました。その痛々しい姿に。
なんというか、これはセルビアが意図的に残しておいているのだろうなと直感で思った。建て壊すことも、建て直すこともなく、ただ当時のままの状態で時を越えてたたずんでいる。なんとも言えない気持ちになった。これは彼らなりのアピールなんだと思う。
町中に日本から無償で送られたバスも走っています。だいぶ古くなっちゃっているから 見られなくなる日はそう遠くないかも。。。
さて、バスにのってしばらくして、ユーゴスラビア歴史博物館に到着です。
大きな建物!ここは3つの博物館から構成されていて、それぞれ5月25日博物館、花の家、旧博物館といいます。
5月25日博物館は現在常設展は行っておらずさまざまな特別展が行われているとのこと。2015年12月時点では出土品の修復作業に携わる学生の活動をパネル展示したりしていましたが、正直イマイチ説明が足りず、ぽつりぽつりと展示品が並んでいてもそれが何か分からないものが多数で??? 状態でした。
でも、いーーーんです。
目当てはここではなく、花の家なのですから。
こちらは歴史に名を刻んだ指導者、ヨロップ・ブロズ・チトーの霊廟があるのです!!!
今でも多くの人が献花に訪れるそうです。館内にはチトーゆかりの品々の展示と旧ユーゴスラビアの歴史年表が展示されています。
※チトーとは ユーゴスラビア連邦人民共和国の初代首相で、1953年には大統領も兼任するようになった。 1963年には終身大統領に就任すると宣言し、いわゆる独裁体制の指導者であった。 しかし、独裁者でありながら彼を批判する人が少ないどころか、多くの人に愛されたのは他民族で構成される脆弱な共同体を一つの独立国家として纏めていたという功績を認められたから。 また、当時東欧あくまでもロシアとは一線を画す独自の社会主義国家を形成したのだ。
花の家にはチトーが永眠した際に核国から送られた弔いの電報や直筆メッセージも飾られています。葬儀に参列した各国首脳の面々を見ると彼がいかに愛されていたかをうかがい知ることができます。 今は姿を消したユーゴスラビア。しかし、その確かな存在を後世に伝えた最大の功労者は紛れもなくチトー元帥だと思います。。
博物館をあとにして向かったのはベオグラードの新しい名所になる予感、サヴァ教会。東方正教系の教会としては最大の規模だそうで内部はまだ建設中。でもすでに多くの人々が訪れていました。
その後、市の中心地に戻りセルビア歴史博物館に。後で気づきましたがこちら、現在常設展はやっておらず、特別展が開催されているそう。 2015年12月の時点ではセルビアが生んだ物理学者、PUPIN展でした。いやぁ、はじめプーチン展かと思ってた。。。笑
それはそれでそうとう面白いかと。。。
ピューピンは物理学の世界ではかなり有名で若き頃にアメリカへ移住。コロンビア大学で優秀な成績を収めその後教壇に立ち、現在コロンビア大学には彼の名前がついた研究所があるほどだとか。物理のことはさっぱりなので、正直よくわかりませんでしたが、彼が現在なくてはならない電話の大本の部分で大きな功績を残したらしいです。
こんな感じでベオグラード観光終了です。セルビアの国民食、プリスカヴィッツェを食べて帰路につきました。
オイシイヨ。370ディナール。