Globe Samponista Diary~世界各国お散歩日記~

旅のスタイルはふらっと、気ままに。60を越える国々を旅した記録。ひとり旅やふたり旅、ときどきグループ旅行。

【100日旅35日目】ドゥブロブニクからバスでボスニアのモスタルを経由してサラエボへ移動の日

12月8日 Day35

 

朝8時発のサラエボ行きのバスに乗り、国境を越えてボスニアヘルツェゴビナへ入り、世界遺産の町、モスタルへ向かいます。 次の目的地はサラエボなのですが、モスタルで一泊するかどうか迷ったのですが、モスタルの見どころは狭い範囲に集中していて短時間で観光できるとの情報をゲットしたので、途中下車で観光し、そのままサラエボに向かうことにしました。

 

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モスタルへのバスのチケットは118kn。

なんと車内はWiFiがあり、とても快適に過ごせました。

ドゥブロブニクを出発して1時間くらいでボスニアとの国境へ到着。クロアチア出国スタンプを押されました。しかし、なんとここは飛び地になっているので、しばらくしてまた1度クロアチアに再入国してからボスニアへ入るという複雑さ。飛び地になっていると大変です。

でも、思っていたより出入国は楽でした。私みたいな感じの明らかな旅行者には、簡単なチェックで済むのでありがたいけど、これでは本当に悪い人の出入国は防げないのでは、と思いました。

 

そんなこんなでモスタル到着。 バスターミナルで荷物を預かってもらえるので、身軽になって観光へ。バスターミナルのトイレが和式だったのが衝撃でした。

和式と呼んでいるけれど、この様式のトイレは世界各国にあることが判明。

 

ターミナルから徒歩20分くらいまっすぐ歩いていくと旧市街へ到着します。

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ここがヨーロッパであることを忘れるほどのムスリムな感じが漂います。

お土産屋さんが並び、お土産もトルコで売っているのと同じようなラインナップ。

まあ、そうだよね。 

でも、この雰囲気が大好物の私は自然とテンション上がります。

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革のバッグがたくさん置いてあるお店で、ひとめぼれしたポシェットを衝動買いしてしまいました。本物の牛皮みたいだし、ボスニア製とのことなので。25ユーロでした。

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値切り交渉一切なしでこのお値段ですので、交渉すれば安くなるかも、というか安くなるんでしょう。でも、私は(普段は値切るのですが)なんとなくボスニアの人々を間接的にでもサポートしたいと思い、交渉はしませんでした。この地はボスニア紛争の際にかなりの打撃を受けた町。

世界遺産の橋も徹底的に破壊されてしまいましたが、人々の努力により復興させた歴史があります。

 

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橋のふもとに戦争時の展示がやっていたのをたまたま見つけたので入って見学することにしました。

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1993年、私がもう物心ついて元気に小学校に通っていたとき、世界ではこんなことが起こっていたとは、改めて平和のありがたさを感じます。 

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ボスニア紛争とは ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争とも呼ばれる。ボスニアはもともとボシュニャク人、セルビア人、クロアチア人から構成される多民族国家。特筆すべきはこの民族の違いは人種の違いではなく、進行する宗教の違いだけ。つまり見た目では区別がつかないのです。1991年に勃発したユーゴスラビア紛争をきっかけにつぎつぎとユーゴ解体が進みました。その中で独立をしたいボシュニャク人とクロアチア人、それを阻止したいセルビア人の衝突というのが基本的な問題です。そしてこのモスタルが壊滅的な被害を受けたのが93年。この美しい町は徹底的に破壊されました。

 

もともとは同じ民族、言葉も同じ。宗教が違うというだけで昨日までの友人が今日は敵になる。そんな悲しいことがあるでしょうか。 彼らの中にできた溝は修復するにはあまりに深く、長い長い年月を要するでしょう。

 

実は、私が革のポシェットを買った店のおじさん、片足がありませんでした。もちろん理由は聞きませんし、 病気やケガが原因かもしれません。でも、私はそのおじさんの年齢からして、ボスニア紛争時の傷跡だと想像せざるを得ませんでした。だからこそ、ポシェットを記念に、ここに来た証として値切りなしで購入することにしたのです。

(本当はもう一つ欲しかったのですが如何せん長期旅行者でかさばるものは買えないので断念)

 

また、紛争時の写真展を見学し終わり、建物を後にして百メートル程歩いたところで、受付でチケットを売ってくれた20代前半の女性が息を切らせて私を追いかけてきて呼び止め、ただ一言「展示を見に来てくれてありがとう」と言って去って行きました。たったそれだけのことを言いに追いかけてきたのです。遠い遠い日本からわざわざ足を運んで、お金を払って展示を見学した私に感謝の念を抱いたのでしょう。それだけ、彼らにとってはこの紛争は大きな、忘れることが出来ない出来事なのです。

 

そう思うと、遠い異国の地で起こったことだし、日本ではあまり知られていない事実だけれど、 この世界に、そう遠くない昔、現代に起こった悲しい史実だということを心にとめておかなくては いけないなと思いました。

 

モスタルには3時間ほどしか滞在しませんでしたが、とても充実した思い出深い地になったことは間違いありません。

 

そして、午後3時15分のバスでサラエボへ移動しました。バス代は20マルクです。

 

日暮れが早いヨーロッパ。サラエボに到着したときには辺りは真っ暗になっていました。バスターミナル付近は治安があまり良くないらしく、なんだか鬱蒼としているし、なんとなくですが不穏な空気を感じて怖かったので、小走りでトラム乗り場へ。

トラム乗り場に着いたはいいが、トラムはボロッボロだし、落書きだらけだし、乗るのも躊躇するレベル。

ど、どどどうしよう。

しかし他に手段はない。

私は、密室になるし値段もふっかけられる可能性のあるタクシーは極力使わないと決めています。 なので、トラムで行きます。

トラムに乗ること20分ほどで無事ホステルに到着。

幸い、宿がトラム駅からすぐで、トラムの中から見つけることが出来たのでトラムを降りて 即チェックインすることができました。